推論のはしごを降りる練習 | 田村洋一 | サンタフェ通信

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推論のはしごを降りる練習

 

「推論のはしご」という概念があります。私たち人間は「頭が良すぎる」ために、何かを見た瞬間にさまざまな妄想を「考える」プロセスに突入してしまって、あっという間に「推論」をはしごしてしまうのです。

 

どういうことか解説しましょう。

 

例えば、誰かとすれ違って挨拶したのに、返事が返ってこなかったとします。

 

私たちは瞬時に推論のはしごを駆け上って、「嫌われるようなことをしたのかな」と不安に思ったり、「態度の悪い人だ」と腹を立てたりします。実際にはそのどちらでもなく、ただ単に気がつかなかっただけかもしれないのに。

 

あるいは、誰かと会って名刺交換したときに受け取った名刺がよれよれに折れていたとします。

 

そういうとき物事の原因を自分に求める癖のある人たちは「馬鹿にされている」と感じたりします。原因を相手に求める人たちは「この人はマナーが悪い」と決めつけたりします。

 

実際にはそのどちらかかもしれないし、どちらでもないかもしれません。事実は「名刺がよれよれ」というだけです。(いや、実はそれだって純粋な事実なのでしょうか。何らかの偏見の混じった観察かもしれません。)

 

「推論のはしご」は、最初はごく些細なものであっても、それが積み重ねられていくと無視できないほどの大きな影響を及ぼします。思い込みや偏見を強め、言動を左右し、人間関係を混乱させることが少なからずあります。

 

「推論のはしご」はこのような身近なケースに限らず、社会問題や国際政治などでも常に散見されます。

 

他人のちょっとした言動に反応してしまう。

 

政治家のわずかなジェスチャーに過剰反応してしまう。

 

実際には、本人たちはさりげない仕草で深いメッセージを伝えているつもりなのかもしれないし、そうではないのかもしれません。そのジェスチャーは意図的だったかもしれないし、無意識の表われかもしれないし、全くの無意味な偶然かもしれません。

 

問題は、事実でないことに対して勝手な推論を積み重ね、事実と憶測の区別がつかなくなってしまうことです。

 

わずかな目の動き、手の動き、身振りや言動によって、私たちはさまざまな印象を受け取り、偏見を強化されてしまいます。しかも「賢い」人や「鋭い」人ほどその罠にはまりがちです。

 

推論のはしごを登ること自体は人間の頭脳の勝手な働きで、前もって防ぐことができません。

 

しかし、登ってしまった「推論のはしご」に気づくことができれば、注意深くはしごを降りることもできます。

 

自問自答してみてください。それは事実なのか。実際に確かめられた証拠なのか。それとも頭脳が瞬間的推論を重ねた挙句の憶測なのか。

 

思考をスローダウンして推論のはしごをゆっくり降りてくる練習が必要なのです。

 

サンタフェ通信7月31日号より一部抜粋しています。


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