安保法案反対スピーチを聴いて思うこと | 田村洋一 | サンタフェ通信

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安保法案反対スピーチを聴いて思うこと

 

自分の息子たちと同年代の若者の安保法案反対演説を非常に好意的に聞いています。ずっと政治に無関心でいた若者たちが、安部内閣の安保関連法案のおかげで目を覚まして、自分の国の安全保障政策について声を上げ始めています。

 

と同時に若者たちのスピーチを非常にクリティカルに聞いている自分を発見して、これはどうしてだろうかと考察してみました。

 

1.5分間の演説くらい暗記せよ。

 

そんなに悲痛に法案反対を訴える気持ちがあるなら、なぜiPhoneの原稿を見ながら喋るのでしょうか。この時点で言ってることとやってることが合致していないと感じます。大勢の人に聞いてもらうスピーチ内容を、彼らはリハーサルしたのでしょうか。どれだけ練習をしているのでしょうか。原稿を書くためにどれだけの時間や労力を使っているのでしょうか。

 

実際に演説者が練習しているようには感じられません。言行不一致です。

 

2.自分の言葉で喋ってない。

 

昔の左翼の演説が聞くに耐えない絶叫だったのに比べると今の若者たちは自分の言葉で喋っている、これは前進だ、と言うのですが、私の耳にはやはり叫んでいるようにしか聞こえませんし、聞くに耐えないレベルが落ちただけです。

 

聴衆が聴いてくれているのは、私のように若者に対して寛容なのと、そこに集っている人たちが法案反対という連帯感と共感を持っているからです。批判的な聴衆の耳には何も届かないし、ましてや無関心な人たちに至っては何も聞かないでしょう。

 

自分の言葉で話しているのか、は微妙な問題です。他人の作った原稿を読んでいる無能な政治家に比べたならばたしかにずっとましです。

 

しかし私には反対運動の空気に流されて喋っているように聞こえます。深く考えた形跡が無い。感情に流されている。だから同じ感情に流されている同種の聴衆の心には響くが、意見を異にする人たちには全く響かない。

 

何かに反対する演説をするなら、自分の気持ちや考えを声にするだけでは足りません。対立する立場の人たちの思考や感情を理解しなければならない。

 

安部総理、あれはアメリカの戦争犯罪です。そんなこともわからないのですか。私には完全にわかっていますよ、こんな単純なことが、あなたにはわからないのですか。この手の訴えは、演説者がこの問題について一度も深く考えたことがないことを示しています。直観的に結論し、その結論を疑って吟味していないのです。

 

戦争は嫌だ、誰も殺したくないし、殺されたくもない、殺人に巻き込まれたくない。そんなことは当たり前です。わざわざマイクを持って大勢に訴えるに値することではありません。問題は、現実の悲惨さに対して自分たちが何をすべきで、何ができるか、です。

 

自分が日本のリーダーだったら何を考え、何を為すべきか。一国の首相に語りかけるなら少しは国家のレベルで物を考える必要があります。若者の演説者たちは、全くそれをしていない。自分の頭では考えることをせずに、他人をこき下ろし、怒りと恐怖を叫んでいる。

 

昔の左翼の絶叫演説よりはだいぶましなのかもしれない。しかし同質のものです。私には五十歩百歩に思えます。

 

3.主権者の権利を笠に着たクレーマー

 

これが私が最も批判的な理由です。「私は主権者として総理に物申す」という態度、これ、どこかで見る態度だと思ったら、クレーマーです。

 

日本には「お客様は神様です」という言葉があります。これは演歌歌手がオーディエンスに向かって言い、そう思って自分の慢心を戒めて克己努力するにはいい心がけです。あるいはお店がお客様を大切にして経営努力するなら悪くない理念です。

 

しかしながら自分自身を「お客様」だと思ってわがままを言い出したら、そのお客様はクレーマーになります。

 

「主権者」だと言って演説している若者たちは、いや、老人たちも全く同罪なのですが、自分をお客様だと思い込んでいるように思えます。選挙という買い物で選んだ政治家に対して注文をつけているという、なんだかそういう雰囲気です。「お前らちゃんとやれ!」と。

 

主権者がえらい、お客様なんだから。政治家は主権者の言うことを聞け、主権者がお客様なんだから。

 

そういう感じに聞こえてしまいます。

 

だからああして総理大臣に不躾な物言いをしたり、無礼な批判をしても許されると思うのでしょう。だから自分が深く考えてもないのに胸を張って注文をつけられるのでしょう。お客様なんだから、注文をつけるのは当たり前です。

 

主権者を名乗るならその名にふさわしい言動が求められようというものです。政治家を批判するなら自分の頭で考え抜き、自分の言葉で語るべきです。

 

自分の息子たちと同年代の若者の情熱あふれるスピーチに対して少し厳しすぎるでしょうか。

 

私はつまらないデモ演説などやめろと言っているのではありません。逆です。もっと考え、もっと語り、もっと訴え、もっと行動すればいい。そのためには黙って考え、きちんと議論する時間が必要なのです。自分が反対する人たちの立場に敬意を寄せて、謙虚に知ろうとする態度が必要なのです。

 

サンタフェ通信9月11日号より一部抜粋しています。


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