なぜディベートするのか | 田村洋一 | サンタフェ通信

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なぜディベートするのか

なぜディベートするのでしょうか。ディベートの目的は何でしょうか。

 

いろんな目的の中で、ひとつはパースペクティブを得るためです。一見関係なさそうな大量のデータを、意味のある知識や情報にするための軸を得ることです。

 

リサーチしているときや試合しているときに突如として点と点が線で結ばれて、線と線が面を形作り世界が姿を現すことがあります。その瞬間のためにディベートするのです。

 

ディベートに打ち込んでいるディベート道場の人たちを見ると自分を見ているような嬉しい気持ちになります。

 

ディベートをやったことのない人はディベートの試合を見ても議論の応酬にしか見えないことでしょう。しかしアカデミックディベートの醍醐味は、リサーチと準備にあります。無から有を創り出すプロセスこそ醍醐味なのです。

 

最初は世の中に転がっている議論をかき集めれば立論や反駁ができると思うかもしれません。ところがどっこい、強い立論や強い反駁をするためには、単なる調査や情報収集では足りないのです。自分の頭で考え、咀嚼して、再構成し、統合したり、世間の誰も言っていない視点を創出したり、物の考え方の枠組みを変えたりして知的なリスクを取る必要があります。

 

たかが調べごとに大げさと思うかもしれません。しかし自分の頭で考えて組み立てるのは大変で、なかなか出口の見えないトンネルに入り込んだ気分になります。

 

この感覚は17年前に戦略コンサルティングを始めた時に感じたものと同じでした。企業の戦略を考える仕事は、知らない人が「あんなものは頭ででっち上げる作業で本物のビジネスではない。本物のビジネスは血と汗と涙の泥臭い仕事だ」と馬鹿にすることがあります。しかし戦略策定は実に大変なプロセスで、無から有を創り出す苦しみと喜びに満ちているのです。いくら考えても答えは出ない。調べても調べても全く答えは見つからない。創り出すしかない。ほんの些細な、思いつきのかけらのようなものを仮説化して検証し、精緻化して統合する。そういう地道な仕事を馬鹿にするものではありません。

 

これがディベートのリサーチとプレパレーションに酷似しています。産みの苦しみなのです。

 

ディベート道場の人たちは本当によく頑張っています。仕事や生活に忙しい人たちが、夜や週末や仕事の合間にディベートに打ち込んでいます。稀有なことです。

 

そして、打ち込んだ分だけ必ず見返りが返ってくるのがディベートのいいところです。

 

やったらやっただけのいいことがあります。打ち込んだら打ち込んだだけの見返りがあります。もちろん、手を抜いたら手を抜いただけの見返りが返ってきます。

 

長い目で見たらどんなことでもそうなのかもしれません。報われない仕事も、長い目で見たらどこかで必ず見返りが返ってくるものです。

 

サンタフェ通信10月23日号より一部抜粋しています。


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