オブジェクティビズムに出会った日 | システム思考 | 田村洋一

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オブジェクティビズムに出会った日

私がオブジェクティビズムに出会ったのは1992年の夏です。

 

留学中の大学院のあった米国バージニア州シャーロッツビルの近所の書店にアイン・ランドという作家のコーナーがあり、そこで手にとった短編小説がきっかけでした。ふらりと誘われるようにひかれて読み、そこからアイン・ランドの独特な哲学体系オブジェクティビズムへの旅が始まりました。

 

アイン・ランドの名前は知っていました。1986年に留学中のニュージーランドで倫理学(Ethics)を学んでいるとき、分厚い教科書の中にethical egoism(倫理的利己主義)の創始者として登場したのです。ただし教科書では「アイン・ランドの考えのどこが間違っているか」と設問されているくらいで、オブジェクティビズムの紹介というよりも誤解と批判が提示されていました。

 

アイン・ランドはアメリカでは有名です。アイン・ランドの作品を読んでいない人でも名前は知っています。

 

多くの人がアイン・ランドを嫌っています。作品を読む前に世評や先入観で嫌っています。だいたいが「利己主義」を「倫理的」だなんて、世間の常識に真っ向から逆らうことです。Be selfishというのがアイン・ランド倫理学の核心です。そして利他主義を非倫理的だとして徹底的に攻撃しています。全ての宗教を敵に回しています。不人気も頷けます。

 

一方、アイン・ランドは最近のティーパーティームーブメントや保守派リバタリアンの人たちに大人気です。ろくに作品を読んでもいないのにアイン・ランドが大好きだという人たちが大勢います。その人たちはアイン・ランドの利己主義倫理学よりもレッセフェール資本主義という政治哲学に魅せられています。というより政治利用しています。

 

この話は今月ヤロン・ブルックが来日したときにも直接取り上げようと思っているのですが、アイン・ランド自身はリバタリアン哲学を完全否定しています。リバタリアニズム(Libertarianism)を非道徳的(immoral)だとして切り捨てています。しかしリバタリアンの人たちはそんなことは御構い無しでアイン・ランド哲学を好き勝手に使っています。

 

日本人はリバタリアニズムは聞いてことがあっても(日本の作家にもリバタリアンを自称する人が何人かいるようです)、オブジェクティビズムを聞いたことがある人はほとんどいませんから、両者が違うと言われてもさっぱりわけのわからない話でしょう。しかしこのことは重要なので、おいおい明らかにしていきます。

 

私自身はオブジェクティビスト(Objectivist)を自称しません。それこそ何かの思想の信者のように聞こえてしまうし、自分はオブジェクティビズムを信条とするのではなく、あくまでも哲学思想として学び、自ら実験・実践し、体現していくオブジェクティビズムの学徒(student)であると自認しているからです。それは私自身が哲学の学徒(student of philosophy)であり、哲学者(philosopher)ではないのと同じわけです。

 

1986年に存在を知り、1992年に本格的に邂逅したロシア系アメリカ人哲学者アイン・ランドの思想は、その後の数十年に渡って私の仕事観や人生観のみならず、現実の生き方や働き方までも根本的に変えていくことになりました。全てはバージニア州シャーロッツビルの小さな書店で出会った薄い一冊のペーパーバックがきっかけです。

 

(オブジェクティビズム 2 に続く)

 

サンタフェ通信1月15日より一部抜粋しています。


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