SMAP解散騒動とオブジェクティビズム | システム思考 | 田村洋一

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SMAP解散騒動とオブジェクティビズム

2016年1月の日本では、芸能事務所のアイドルグループ解散騒動が話題になっています。

 

興味のない人には何の重要性もないニュースですが、アイン・ランドの哲学であるオブジェクティビズムの観点から一連の出来事を眺めると、実は人間社会の本質に関わる重大事がそこにあることに気づきます。

 

オブジェクティビズムにおいては、人は人としてそれだけで目的である、人が他の人を自分の目的のために支配してはならない、という個人主義の原則が、非常に大切です。この原則は、これまで話してきた利己主義という倫理哲学の当然の帰結です。

 

これだけで伝わる人には伝わっているかもしれませんが、念のためにもう少し続けましょう。

 

人間が生きることはそれ自体が目的なのです。生きることによって一人ひとりの人間が自分の価値を実現していくこと、それがオブジェクティビズム、アイン・ランドの哲学における幸福の意味です。

 

一人ひとりが幸福を追求していけるためには、自分の価値観に基づいて合理的な選択が可能でなければなりません。国家に命令されたからそれに従う、とか、雇い主に命令されたからそれに従う、というのは奴隷の倫理です。奴隷主に支配された奴隷は、自分の価値観に基づいた行動が許されません。客観的に判断する自由を奪われています。

 

利己的であるとは、他者の望みやニーズを無視することではなく、互いの権利を尊重し合いながら自由意志によって協力して社会を営んでいくことです。

 

アイン・ランドが利他主義を排撃する理由はそこにあります。

 

利他主義は、人は他人のために奉仕すべきだ、と言います。それが諸悪の根源なのです。奉仕自体が悪いわけではありません。奉仕や人助けは、あくまでも自らの意思によって自発的に行われるべきなのです。他者から無理強いされる筋合いのものではありません。

 

利他主義は、人間が生きるのは自分のためではなく、他人や社会のためだ、と言います。そこから多くの悲劇が始まっているのです。人は家族のために尽くさなくてはならない。友人のために尽くさなくてはならない。社会のために尽くさなくてはならない。国家のために尽くさなくてはならない。そうやって奴隷の人生が正当化されます。

 

オブジェクティビズムは明快に利他主義を否定し、強力に利己主義を表明します。利己主義でいいのだ、という開き直りではありません。とんでもない。利己主義でなければならないのです。人は自らの人生を、自らの責任で、自らの価値観に基づいて、主体的に生きるべきなのです。奴隷の主人に捧げてはならないのです。

 

奴隷を支配する主人だけが罪深いのではありません。それを成り立たせているのは奴隷自身です。自らの運命を他者に預けてしまうことによって支配関係が成立し、持続し、拡大しているのです。

 

芸能事務所とタレントは、一見して現代的な雇用契約によって自由な商業活動をしているように見受けられます。実際、過去の歴史を彩る本物の奴隷制度に比べたら、文明的な自由を謳歌していると言っても間違いではないでしょう。しかし、「事務所を裏切った人間は二度と芸能界で仕事ができない」というような不文律がわずかでも現実を支配しているとしたなら、それは自由な契約でもなければ自由な個人でもありません。明らかな奴隷支配です。

 

芸能事務所とタレントの事例は、単にわかりやすい劇的な一例に過ぎません。奴隷支配の構造は、現代社会のさまざまな領域に蔓延っています。

 

オブジェクティビズムはありとあらゆる奴隷支配構造を批判します。そして、支配ではなく、自由意志による人間関係を唯一の倫理的なあり方として描き出します。

 

オブジェクティビズムが明快に利他主義を排し、利己主義を唯一の倫理的な生き方だとする理由はここにあるのです。

 

サンタフェ通信1月29日より一部抜粋しています。


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