アイン・ランド哲学を語ってこなかった理由 | オブジェクティビズム | 田村洋一

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アイン・ランド哲学を語ってこなかった理由

1999年頃だったと思います。JDA(日本ディベート協会)のメールグループで、「どうやったら教育ディベートをもっと普及できるだろうか」という議論が起こったことがありました。

 

それについて私は、「自分が体現して示すことが一番」と言い、「ディベート思考を実践して成果を上げ、他人に成功の秘訣を聞かれたらディベートの話をすればいい」と述べました。

 

これに対して、当時マッキンゼーという会社でコンサルタントをしていた二十代の若者の滝本君が、「田村さんは何年も前からそれを言ってますよね。もう聞き飽きました。それをやってディベートが普及しますか」と返答してきました。そして「教育ディベートのバリュープロポジションを作ってターゲットを決め、戦略的に訴求すべきだ」というようなことを言ってきました。

 

(滝本君とは当時職場が近かったので、赤坂アークヒルズで夕飯を食いながらコンサルティングビジネスの話やディベートの話をしたこともありましたが、その後、彼はコンサルタントを辞めてディベートの教育啓蒙などの活動もしているようです。)

 

それはともかく、私のディベートに対する姿勢は、私のオブジェクティビズムに対する姿勢と同じです。

 

私は利己的ですから、まず自分にとって何がどう面白いのかを考えます。教育ディベートを商品化してヒットさせることが面白いのかどうか。

 

それも面白いのかもしれませんが、ディベートは実践して成果を出すのが一番面白い。それを自分で証明できることが面白い。

 

他人に売り込むよりも先に、自分がそれを実験して、面白さを実感して、その面白さに共感する人だけに、この面白さを薦めたい。

 

オブジェクティビズムにしてもブディズム(仏教)にしても同じことです。

 

私がアイン・ランドの哲学を面白いと思うのは、それがエレガントだからとかラディカルだからなどという理由だけではありません。実際に現実社会で応用して成果を上げられるからです。

 

私がブディズムを面白いと思うのは、その論理性や奇抜さや大胆さばかりではありません。極めて実践的で、使える方法だからです。ブディズムをわかることがすなわち自分が変わることだと実感できるからです。

 

ディベートの価値命題を美しく定式化して素晴らしいマーケティングをして、それによってディベートの実践者が増えるなら、きっとそれは世界にとっていいことだし、日本にとってもいいことだと思えます。ただし、本当の実践者が増えるなら、です。

 

ディベートは強力な「武器」です。他人を攻撃するためや貶めるために使えば血が流れる武器です。「ああ言えばこう言う」という詭弁術は、それはそれで役に立ちます。

 

しかし本来ディベートはそんなことでは終わらない。自分を高め、議論を建設的にするために使えば、知的な血肉(けつにく)になる武器です。思考力、認識力、自己批判力、対話力を向上し、豊かな人間関係を可能にします。

 

オブジェクティビズムも同じです。リバタリアンの人たちがやっているように都合のいい箇所を切り取って政治的アジェンダを推進するためにオブジェクティビズムを利用するなら、それはただ敵を作って闘争を盛り上げる「武器」になるだけです。

 

私がこれまでオブジェクティビズムについてあまり語ってこなかったのは、語っても理解する人がほとんどいなかったためと、私にとってオブジェクティビズムの価値があくまでも実践成果であったというためです。

 

脇坂あゆみさんの翻訳やヤロン・ブルック博士の来日によって、少しだけ風向きが変わってきたようです。

 

(続く)

 

サンタフェ通信2月19日より一部抜粋しています。


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