人生の道標としてのアイン・ランド哲学 | システム思考 | 田村洋一 | サンタフェ通信

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人生の道標としてのアイン・ランド哲学

アイン・ランドの偉業は、オブジェクティビズムという壮大な哲学体系を構築したことだと言われます。このことは多くのアイン・ランド支持者の中でも必ずしも理解されていません。

 

リバタリアンを名乗る政治思想家や政治活動家は、自らをアイン・ランドのフォロワーだと自認していることがありますが、本当のオブジェクティビストとは程遠い存在です。アイン・ランド思想の表層の一部分を都合よく切り取って道具として政治利用しているだけの人たちです。

 

先日(2016年1月20日)の立教大学の講演会の質疑応答で、共和党がアイン・ランドを援用していることとアイン・ランド・インスティテュートの関係について質問がありました。

 

アイン・ランド・インスティテュートはオブジェクティビズムの教育啓蒙のために1985年に設立された非営利団体組織で、特定の政党や政治家を支持する一切の政治活動を法律で禁止されています。そもそもアイン・ランド自身も自分を保守派の政治家や政党の支持者と見られることを拒否しています(政治的運動に関わったことはあります)。ましてやリバタリアンについては「右翼のヒッピー」で「マルクス主義者よりもずっと悪い無政府主義者」として完全に排除し、一切のつながりを否定しています。

 

最近は日本人でもリバタリアンを名乗る評論家がいるようですが、彼らもオブジェクティビストではなく、オブジェクティビズムとは関係ありません。

 

世界を変えるために必要なのは政治運動ではなく、教育活動であり、人々の考え方が変われば、おのずと社会は変わっていく。政治のレベルで社会を変えようとしても無駄です。マインドの次元から扱っていかなくてはならない。

 

1960年代にインタビューに答えたアイン・ランドが「私の哲学(オブジェクティビズム)は将来当たり前のもの(the norm)になる。今すぐではないけど(but not right now)」と答えたという話はしましたっけ。

 

それから50年経ちました。

 

YouTube掲載用のインタビューでヤロン・ブルック博士に聞きました。「オブジェクティビズムは未だに主流の哲学になっていない。50年後にはなるのか」と。

 

ヤロンの答えは、50年でも足りないだろう、100年は見ておいた方がいい、というものでした。

 

面白かったのは、インタビューを傍聴していたカールが「オブジェクティビズムが普及するのに100年かかるとか、どうしてそんな悲観的なことを言うんだ。オブジェクティビズムは毎日この瞬間に世界にインパクトを与えている。毎日素晴らしいことが起こっている。もっとポジティブに語るべきだ」と苦言を呈したことです。このときはカメラは回っておらず、その後のヤロンとの会話はオフレコです(ヤロンは、なぜ自分に悲観する癖があるのかを愉快なエピソードで説明していました)。

 

私自身がアイン・ランドのオブジェクティビズム思想を学んで実践するようになって25年目です。私の職業人生は、そして人生全般さえも、オブジェクティビズム抜きにはこれほど豊かで愉快なものになっていたかどうかわかりません。

 

社会がオブジェクティビズムによって良い方向に向かうならそれは素晴らしいことですが、変化はもう目の前で起こっています。

 

アイン・ランドの天才は、目の前の現実が何か、現実をどう発見し、どう認識するのかという哲学のインフラ(形而上学と認識論)を築き、そのインフラの上に、人がどう生きるべきか、そのための社会はどうあるべきか、という哲学の応用実践方法(倫理学と政治学)を築いたことです。

 

現実的で合理的であることから、個人主義的で利己主義であるべき人の生き方が導かれ、それを可能にする政治の仕組みとして自由主義や資本主義が導かれる。

 

アイン・ランドは統合的な哲学思想のシステムを構築しました。

 

オブジェクティビズムを実践するために、私たちは哲学者になる必要はありません。アイン・ランドの哲学を、自分の頭で理解し、自分の生活に導入し、望ましい実践成果が出たら、それを自家薬籠中のものにしたらいいのです。

 

個人主義者は社会を変えようと画策する前に自分自身を自分自身のために改善する工夫や努力を怠りません。

 

変化は目の前で起こっています。オブジェクティビズムはその変化を、個人の幸福のためによいものにしていくための道標を提供してくれます。

 

(続く)

 

サンタフェ通信3月4日より一部抜粋しています。


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