ディベートは止めを刺す | システム思考 | 田村洋一

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ディベートは止めを刺す

ディベート道場に参加していたW氏が、去年の最後の道場でディベート活動を振り返って興味深いコメントをしていました。

 

「ディベートをやる前は、何かが正しいか正しくないかだけを論じて終わることが多かったが、ディベートでは決める議論をする」

 

つまり、これは、どういうことかというと、ディベート(競技ディベート)においては、主張が正しいかどうかを議論するだけじゃなく、「で、どうするのか」を徹底的に論じ合い、結論を出す、ということなのです。

 

ちょっと説明しましょう。

 

世間には「正論」と呼ばれる主張があります。辞書を引くと「筋道の通った、正しい主張。多くは実際には採用されたり行われたりすることが無い」とあります。(余談ですが、これは英語に翻訳しにくい日本語のひとつです。)

 

不思議じゃありませんか。正しい論、筋の通った論なのに、実際には採用されない主張。

 

「それは正論だ」「あれは正論だけど」と言う場合、それは主張が正しいが役に立たないことを示唆しています。

 

ディベートで言うと、重要性はあるが解決性のない提案を「正論」と呼ぶのではないか。

 

日本で正論が嫌われるのは、現実に実行できないのに真っ向から反対できない筋の通った主張だからということでしょうか。

 

つまり、正しいか正しくないかの議論では評価できないのが正論ではないかと思います。

 

競技ディベートにおいては、その主張のインパクトが何か、我々が現実にどう扱うべきかまでを徹底的に吟味します。

 

ディベートが机上の空論や詭弁術にならないのはそういうわけです。

 

ディベートは止めを刺すのです。

 

サンタフェ通信4月22日より一部抜粋しています。


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