欲しかったものは勝手に転がり込んでくる | 田村洋一 | サンタフェ通信

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欲しかったものは勝手に転がり込んでくる

 

 生きてる間にあれもしたいこれもしたい、本も読みたいし人にも会いたいし世界中を見て回りたいし、贅沢なこともしてみたい、何でも食べてみたいし飲んでみたい、世界を驚かすような大事業もしてみたいし、誰も知らない山奥や見たこともない美しい南国で暮らしてみたい…。

 

 いろいろな欲望があって、いろんなことを達成するために人生を生きている、そういう焦りの感覚が、「これでいいのだ。充分だ」と思えた瞬間からなくなっていきました。

 

 焦ることはない、今この瞬間が人生だ、瞬間を生きているこの感覚が人生そのものだ、それは喜びに充ちている。世界は美しい。誰が何を変える必要があるものか。

 

 そういう充足感に包まれたのが2001年という年でした。30代後半でした。

 

 その、焦りの失われた感覚は、今でも定着しています。

 

 世の中の不合理を正したい、自分を何者かにしたい、ありとあらゆる仕事をしたい、というような過剰な欲求からは離れ、「今の自分にできることに集中する」「できたことを祝福する」「世界を尊重し、肯定する」という根本的な姿勢は、あれから十数年経った今でも変わっていません。

 

 現実を尊重して肯定する姿勢と、課題を認識して変革する姿勢とは、矛盾しません。いや、むしろ変革するためには理解することが必要で、現実を尊重して肯定することなしには真の理解は手に入らないのではないでしょうか。

 

 「理解とは、対象からいけにえをとることではなく、己を空しくして対象にささげることである」

 

 高校生の頃に読んで腑に落ちなかった福田恆存のこの言葉が、30代の自分にはしっくり来るようになっていました。

 

 「欲張りばあさん」は碌なものをもらわない。金銀財宝を欲しがっているうちはガラクタしか手に入れられらない。 欲しがるのをやめて捧げるようになると、欲しかったものは勝手に転がり込んでくる。

 

 そういう感じです。そういう意識です。

 

 

サンタフェ通信11月29日号より一部抜粋しています。


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