オブジェクティビズムは誰のためのものか【修正版】 | 田村洋一

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オブジェクティビズムは誰のためのものか【修正版】

2016年1月19日に六本木のホテルグランドハイアットでヤロン・ブルック博士にインタビューしたときに印象的なことがありました。私が

 

「オブジェクティビズムの実践には高い知性を要するのでは?」

 

と聞いたら、ヤロンはすぐに

 

「理性は必要だが、特に高い知性は必要ない」

 

と言い、オブジェクティビズムは自分の人生をベストなものにしようとする全ての人のためのものだ、と答えてくれたのです。

 

アイン・ランドは自分の哲学をオブジェクティビズム(客観主義)と名づけ、「地球上で生きるための哲学」と呼んでいます。

 

アイン・ランドがまとめ上げた哲学体系全体はあまりにも大きく、形而上学から美学に至る全てに渡っており、これを完全に理解するのは大変に思えます。しかし私たちは哲学者になるわけではありません。ただ単に生きるための優れた方法を手に入れたいだけです。

 

哲学は誰のためのものか("Philosophy: Who needs it?")という短いレクチャーの中でアイン・ランドは、人間が生きるためには必ず哲学が要る、人間は野獣と違って生まれ持ったプログラムだけで生きて行くことはできず、自分の頭で考えざるを得ないからだ、と喝破しています。

 

ただ、哲学を学ぶ者と学ばない者との違いは、学ばない限り人は暗黙の哲学によって導かれていて、その暗黙の哲学の矛盾や間違いに気づいていないということです。

 

この意味において、宗教もまた哲学の一種です。神や超自然的存在への信仰を基盤とした世界の見方を与え、生きる指針を与えるものです。(アイン・ランドは一切の宗教を認めない世俗の哲学者としても知られていました。)

 

明示的な哲学を学ばない人は、親のしつけや学校教育や地域の生活や国の文化などから多くの暗黙の哲学を知らぬ間に身につけ、その指し示すものに思考や行動を左右されながら生きています。

 

世界中に蔓延する利他主義が、哲学を学ばない人々を陰に陽に縛っていることも事実です。

 

世間的な意味での利己主義者を自認する人間でも、自分もまた本当は世のため人のために尽くさねばならないのではないかという強迫観念や罪悪感に苛まれていることがあります。

 

オブジェクティビズムを学ぶことは、世間やアカデミズムに蔓延る矛盾や欺瞞を打ち払い、世の中に流されずに自分の人生を生きる方法を手に入れることです。

 

そのために理性は必要ですが、特別に優れた頭脳は必要ない。

 

オブジェクティビズムはエリートのための思想ではなく、自分の人生を生きる全ての人のための哲学なのです。

 

(2016年1月の記事に加筆修正して再掲)

 

サンタフェ通信3月10日より


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