習うより慣れろ | ディベート | 田村洋一

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習うより慣れろ

今月のディベート道場でも様々な気づきや洞察に見舞われました。たくさんあったうちのひとつを挙げると、最初にシャドウィングという稽古をしていた時のことです。朗読されたものを耳で聞きながら口で繰り返す、という単純な稽古です。稽古の目的は、相手の言っていることをひと言も漏らさずに聴き、聴きながら同時に議論内容を再生する、そのプロセスによって耳と口と頭を鍛えることです。

 

ひとりのメンバーが手を挙げて聞きました。

 

「聴いてると喋れない、喋ると聴けない。私は聴いてるとわかろうとしてしまう。わかろうとすると喋ることが難しい。ふたつのことを同時にできない。これは個人の学習スタイルによるんでしょうか」

 

私の回答はこうです。学習スタイルは関係ありません。稽古と慣れの問題です。慣れない人がいきなりこれをできないのは当然なのです。

 

車の運転をしながら隣の人と会話をすることはできますか。もちろんできます。車の運転に慣れた人なら、完全に安全運転しながら同時に難しい会話をすることができます。ふたつのことを同時に行うことができるのです。それは慣れているからです。

 

習うより慣れろ。

 

車の運転を習いたてで慣れていない人が、運転中に話しかけられると運転に集中できない、というのと同じです。

 

シャドウィング稽古で聴きながら同時に喋ることに慣れると、頭の中を分解して使うことがたやすくできるようになります。これはもともと同時通訳の訓練方法です。

 

昨日話をしていて思い出したのですが、1984年に初めて間近で同時通訳の様子を目撃したときの衝撃は忘れられません。今はなき斎藤美津子先生の授業で、先生がたしか国際基督教大学の学生を連れてきてブースで同時通訳をさせ、我々生徒に見せてくれたのです。

 

いま喋っている日本語が、ほぼ同時に英語に訳されていく・・・。同時通訳なのですから当たり前のことなのですが、それを我々と歳も風貌も変わらない普通の女子学生が目の前でやっている。どうして聴きながら同時に喋れるのか。天才なのか。才能なのか。

 

そこにいた他の学生たちは英語学科の学生でしたから、英語も日本語も普通に喋れます。しかし日本語を聴きながら同時に英語で喋る、英語を聴きながら同時に日本語で喋る、というのは稽古と慣れがなければ決してできないことでした。

 

しかし1年間訓練していたらある程度できるようになります。誰でもできるようになります。2年間訓練していたらかなりできるようになります。3年間訓練していたら相当できるようになります。その時点でスキルとセンスの高い人はプロとしても活動できるようになります。

 

車の運転を覚えるのが早い人と遅い人がいるように、上達スピードには個人差があります。しかし稽古せずに上達する人はいないし、稽古して上達しない人もいません。稽古と慣れは絶対の必要条件であり、十分条件なのです。

 

私はディベートも同時通訳もある程度できるようになりました。しかしそれは稽古と慣れの賜物なのです。

 

習うより慣れろ。とにかく実践することしかありません。

 

自分の個性だとか癖だとか、学習スタイルだとか性格タイプだとか、そういうことは関係ないのです。

 

サンタフェ通信7月28日より


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