ディベート的に考えることの可能性 | 田村洋一 | サンタフェ通信

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ディベート的に考えることの可能性

 

 先日のディベート道場では即興ディベートの試合を行いました。

 

 即興ディベート試合の論題は、「日本政府は全ての遺伝子組み換え作物の輸入、製造、及び販売を禁止すべきである」

 

 です。論題の肯定側と否定側とに分かれ、30分ほどの簡単な準備をした上で一対一の試合をします。

 

 少し調べただけでトピックの奥深さと裾野の広さがわかります。

 

 まず遺伝子組み換え作物の是非について私たちは知らないことが多すぎます。知らないのに知っているつもりで自分の意見を形成してしまっていることが多いのです。

 

 次に仮に遺伝子組み換え作物が有害だったとして、それを国策としてどう扱うべきなのかについて、私たちはほとんど考えたことがありません。

 

 例えば、今日では喫煙は健康を著しく害することが知られているのに、「煙草の輸入や製造や販売を禁止すべきだ」と論じる人はあまりいません。なぜでしょうか。

 

 教育ディベートにおいては、「それは現実的じゃない」と言って議論をやめるのでなく、「もし実行したらどうなるだろうか」と想定し、シミュレーションすることによって議論を深めます。

 

 「もし遺伝子組み換え作物を全面的に禁止したら世界はどういうふうに変わるのだろうか」と想像力を駆使して、事実と論理とに基づいて議論を戦わせ、それをジャッジが判定します。

 

 たった30分の準備時間、ほんの1時間足らずの試合とその判定という、シンプルなプロセスがもたらす洞察や思考の可能性。

 

 単に「遺伝子組み換え作物について話し合おう、意見交換して、自由に対話しよう」というのでは決して得られることのない議論
の深さ、広さ、鋭さにあらためて驚きます。

 

 

 

サンタフェ通信1月17日号より一部抜粋しています。


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