「論理的共感力」を磨くディベート | 田村洋一

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「論理的共感力」を磨くディベート

教育ディベート(アカデミックディベート)によって何を学ぶのか、何を得るのかについてあらためて考えてみます。

 

一般的にディベートは、ひとつの論題をめぐる論戦によって成り立ちます。日本は難民認定を緩和してもっと多くの難民を受け入れるべきなのか、それとも緩和すべきだとは言えないのか、など、ひとつのトピックを肯定するか否定するか、2つ以上の政策オプションについて議論を展開します(論題を否定する場合にも「現状維持」「対抗提案」「検討審議」など複数のオプションが可能です)。

 

論戦によって磨かれる力のひとつは、主張を明示し、論理的に説明し、あらゆる反論や批判から自分たちの主張を守る能力です。ちょっと攻撃されて論を引っ込めるようでは深いコミュニケーションになりません。あらかじめどんな反撃が来るかを予想して再反論を用意しておき、仮に予想外の反論が来てもその場で考えて言うべきことを言うのです。

 

この議論力・反論力は、ディベートを学ぶメリットとして第一に挙げられることが多いものです。

 

一方、これはディベートによって磨かれる力の半分でしかありません。いや、半分以下です。表に出てくる議論力の裏にあるのは「複雑な課題の構造を理解し、多様な視点を認知する能力」です。

 

言い換えると、ディベートによって磨かれるのは「論理的共感力」です。

 

このことはあまり語られることがありません。ディベートと言えば「ああ言えばこう言う」と弁の立つこと、ロジックと口先で戦って負けないことばかりが強調され、「論理的共感力」についてはほとんど知られていません。

 

なぜ優れたディベーターが効果的な反論をできるのかを考えてみればわかります。それは論敵の反論の強さと弱さを熟知し、議論を再構築できるからです。批判に一理あることを知り、批判の意味を変えることができるからです。感情的な共感ではなく、論理的な共感ができるからです。

 

その議論を聞いた瞬間に「それは一理ある」と察知し、その重要性を認知することができます。したがって重要な反論を見逃すことがありません。

 

そして - ここが最も重要なポイントなのですが - 試合が終わった後で敵の反論を受け入れて持論を再考することもしばしばあるのです。

 

試合中に負けを認めることはありません。サッカーの試合中に自分のゴールに向かってシュートしないのと同じことです。ディベートは競技ですから、試合が終わるまでは勝ちを譲らず、負けまいとして最後まで戦います。

 

試合が終わったら話は別です。相手の議論に大いに影響を受け、自分の考えが間違っていたことを認めることもあります。むしろそのほうが面白いのです。

 

ディベートして議論に勝つのは面白い。しかし負けて学ぶのはもっと面白い。そして勝ち負けのプロセスを通じて論理的共感力を磨くことは一生の宝になります。

 

「負けるが勝ち」という日本の故事の意味を、ディベートはあっさり変えてしまいます。争わずに勝ちを譲るのではなく、争った末に負け、負けから共感を深め、口先だけではなく、多様な視点への認知力を高めていくことこそが真の勝利ではないでしょうか。

 

サンタフェ通信11月10日より


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