無知と無理解、驚愕と感動から始まる知的探求 | 田村洋一

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無知と無理解、驚愕と感動から始まる知的探求

知的探求とは「理解できない」ことから全てが始まります。

 

優れた教師の中には「難しいことをわかりやすく教えてくれる」先生もいます。しかし「難しいことの面白さを示してくれる」先生はもっと偉大です。

 

うっかりわかりやすく教えてもらうと一知半解なのに「わかった」と錯覚してしまいがちです。それよりも端的に面白さを示してもらえたなら、あとは自分自身で探求していくことにつながります。

 

今から12年前、2006年にアーノルド・ミンデル博士に出会ったときに私が感じたのは、

 

「これは凄い。何をしているのかよくわからない。しかしこれが自分の目指す先だ」

 

というビジョンでした。

 

そのビジョンを、あるいはミンデル博士がやっていたことを、理解できたわけではありません。ミンデル博士が説明することはある程度わかります。難しいはずのことをシンプルに説明してくれていました。しかしミンデル博士がどうやってそれをやっているのかは理解できません。理解できないまま驚愕し、感動し、その境地を目指して進んでいこうと心に決めたのです。

 

私は学者になるわけでもなければ療法家になるわけでもありません。職業分類的な目標ではなく、知的な探求者および実践家としての道の向こう側にミンデル博士の姿を見たのです。

 

「驚異することによって人間は、知恵を愛求し(哲学し)始めた。ただしその始めには、ごく身近の不思議な事柄に驚異の念を抱き、それからしだいに少しずつ進んで遥かに大きな事象についても疑念を抱くようになったのである。」(アリストテレス)

 

知的探求と実践の出発点は、理解や知識ではなく、無理解と無知の自覚であり、「凄い」という驚愕や感動から全てがスタートするのだと思っています。

 

その後ミンデル博士夫妻とは奇跡的に昵懇の間柄となり、彼らが来日するたびにセミナー通訳をやらせてもらう縁になりました。今年は久しぶりの来日で、4月のワークショップ開催が今から楽しみです。

 

サンタフェ通信2月2日より

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