ディベート道場一問一答 | 田村洋一

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ディベート道場一問一答

問: ディベートを学んだら欧米のビジネスマンと互角に議論を戦わすことができるようになるのでしょうか。

 

答: 一般的に言って欧米のビジネスマンは日本人よりも議論に慣れています。学校や家庭における教育が日本におけるそれよりも議論を重んじるものであることや、日常生活の中で普通に議論が戦わされることが多いことなどが理由です。しかしディベートに習熟している人は稀です。日本人か欧米人かにかかわらず、ディベートのトレーニングを受けた人は論理的で合理的な議論ができます。互角どころか、相手を上回る議論を展開することは充分に可能です。

 

問: ディベートは日本語でもできるのですか。英語でディベートする必要がありますか。

 

答: 日本文化の中では論理よりも情緒が重んじられてきたとよく言われます。それはそうかもしれません。英語でディベートを学んだ人は「英語のほうがディベートしやすい」と漏らすことがあります。ディベートは欧米由来の議論方法なので、英語の表現には論理を簡潔に伝える表現がたくさんあり、日本語でディベートするときには少し工夫が要ります。しかしディベートは日本語でもできます。実際に多くの人たちが日本語でディベートしています。日本語でディベートができないと考える理由がありません。それは数学をやるのに英語でも日本語でもできるのと同じです。

 

問: ディベートは和をもって貴しとなす日本文化を破壊するのではありませんか。

 

答: 日本には和を重んじる文化があります。聖徳太子の昔から物事は話し合いによって決める風習があります。その話し合いは対立を嫌うものだとされています。多くの現代日本人が議論による衝突を嫌うのはこの日本的な文化の影響であると言っていいでしょう。もし日本人が異文化を遠ざけて古い風習だけを守って暮らしていくならディベートを避けるのも悪くないかもしれません。しかし現実はそうではありません。こうしている間にも諸外国の異文化の人たちと多くの議論をして物事を取り決めていかねばならない現実状況があります。ディベートが日本文化を破壊するのではなく、ディベートしないと日本文化を破壊される危険があるのです。ディベートによって培われる思考力や対話力は、日本文化を守るためにも必須のスキルなのではないでしょうか。

 

問: ディベート道場にはどんな人たちが来ているのですか。

 

答: ディベート道場には非常に多様なメンバーが集っています。会社員、主婦、ビジネスマン、法律家、マッサージ師、学生など、年齢・性別・職業経験もさまざまです。ディベートを初めて学ぶ人がほとんどです。ディベートを学ぶ理由もさまざまです。頭を鍛えたいという人から議論に強くなりたい、自己主張ができるようになりたい、コミュニケーションをよくしたい、意思決定のメソッドを学びたい、などいろいろです。

 

問: ディベートは誰にでも学べるものなのですか。ディベートを学ぶ前に学んでおくべきことはありますか。

 

答: ディベートは誰にでも学べます。音楽の楽器を学んだり、外国語を学んだり、スポーツや武術を学んだりするのと同じです。自分で物を考え、自分で本を読めるくらいであれば小学生でもディベートを学び始めることができます。それ以外には何も特別な要件はありません。

 

問: ディベートを学ぶことによる弊害は何ですか。

 

答: ディベートを学ぶことによる弊害は、中途半端に議論に強くなってしまうことです。ディベート道場ではほとんどありませんが、学生ディベートのコミュニティでは稀に見る現象です。少し議論が強くなっただけで弱い相手には負けなくなるので、あたかも自分が優秀であるかのように錯覚してしまうのです。武術を習ってなまじ強くなると自信過剰になってしまうようなものです。ただ、ディベートのシステムの中には傲慢や無知を戒める仕組みもあります。試合を通じて自分の知識や力の限界を知ることです。謙虚に真実を知ろうとすることです。ディベートに堪能になることによって何を成し遂げようとしているのか、自分の志に忠実でいることです。

 

問: ディベートでは感情ではなく論理だけで議論を行うと言いますが、人間は感情の動物なのではありませんか。

 

答: 人間は理性の動物であると同時に感情の動物でもあります。現実社会においては論理よりも感情が幅を利かす場面がたくさんあります。だからこそディベートの論理が大切なのです。感情が幅を利かす場面においては合理的意思決定が阻害されます。どんなに強い感情があっても、その感情に吹き飛ばされない論理的思考の確かさが求められるのです。教育ディベートで感情を棚上げするのは教育目的によるゲームのルールです。競技場に明確なルールがあることによってプレイヤーはゲームに集中することができます。ゲームに集中することによってプレイヤーは力を伸ばすことができます。伸ばした力は競技場の外の、現実世界で応用可能です。感情を棚上げした競技教育によって、感情の吹き荒れる現実社会においても有効なスキルを磨くこと。それがディベート教育です。

 

(3月25日の午後にはディベート入門講座を開催する予定です。頭を鍛えるディベートに興味のある人はお気軽にどうぞ。)

 

サンタフェ通信2月16日より

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