瞑想習慣と深い思考 | 田村洋一

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瞑想習慣と深い思考

スピリチュアルな信仰を説く人たちは、瞑想すれば自ずと答えが降りてくるなどと言うことがあります。それはたしかに体験的事実です。あれこれ考えても埒が開かなかったのに、瞑想していただけで霧が晴れるように道が見えてきた、ということは多くの人たちが体験しています。

 

というものの、瞑想さえしていればいいというわけではありません。物事を深く考えるには、分析的な普通の思考も大切です。ときにアクロバティックなアート思考も有効です。思考そのものを敵に回す必要はありません。

 

瞑想か、思考か、と選ぶ必要はないのです。瞑想も思考も、併せて実践すべきです。

 

私にとって習慣となっている瞑想は、ただ毎日決まった時間に坐禅を組むことではありません。日常生活のあらゆる瞬間に瞑想のチャンスが転がっています。

 

しかも瞑想は、分析や熟考とは異なり、特定の具体的目的を持って取り組むものではありません。「この難題に対する回答を見つける」と意気込んで瞑想するのではないのです。全く逆です。極端に言えば「ああ、もうどうでもいいや」くらいの諦めの気分で頭を空っぽにし、体をリラックスし、心を鎮めて静謐な空間に己を送るのです。

 

荒れ狂う雑念を止め、穏やかにあてどなく何かを待つところに自分を置くのです。

 

「待つ」というのが単純な受け身ではなく、積極的なアプローチであることがわかります。手をこまねいて待つのではなく、やれることをやりながら待つのです。

 

瞑想によって頭脳が活性化し、思考によって準備が整った脳に、瞑想によって洞察が訪れる。そういう瞑想が習慣化すると、自分の小さな頭で考えているだけではなく、何かもっと大きな力が自分に味方してくれているような感覚が日常化します。

 

頭を使って考えることに疲れたときには無理をせずに頭を休ませ、思考の成果がじわじわと現れるのを待ってみてはどうでしょうか。

 

サンタフェ通信4月13日より

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