生きた知識と自意識

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生きた知識と自意識

今月初めにサッカーを始めました。そして「蹴れない、走れない、見えてない」という三重苦を「蹴れる、走れる、見えている」の三拍子に変えようという新しいビジョンを得ました。

 

サッカーができてもできなくても別に生きることに支障はありません。ただできればできただけ面白い。楽しみのためのスポーツですから面白いことが一番です。心身の健康にも効果があるかもしれないが、それはあくまでもついでであって、心身の健康のためにサッカーするわけではありません。だいたい健康が目的なら他にもっとやることがあります。

 

競技ディベートにも似たようなところがあります。

 

ディベートを始めると「喋れない、聞けない、見えてない」の三重苦が当たり前です。普通のコミュニケーションと同じだと思ったら大間違いで、未経験者には新しいゲームであり、新しい体験になります。一般的な議論や分析が得意だったとしても、ディベートできるかどうかは別次元です。

 

さて、ここからが大事なところです。

 

「喋れない、聞けない、見えてない」三重苦に直面したとき、「喋れる、聞ける、見えている」三拍子のビジョンを持てるかどうか、です。これが生きるか死ぬかの境目になります。

 

誰でもサッカーを楽しめるのと同じで、誰でもディベートを楽しめます。特別な頭脳や特別な知識や特別な才能は要らず、場合によってはむしろ邪魔にさえなりえます。才能というのは磨けば光るもので、原石のままでは使えないのです。

 

サッカーと同じで、試合ができたら面白い。勝っても負けても面白い。ただしそれは勝ち負けにあまり感情的になりすぎないことがポイントで、負けて悔しくても放っておき、勝って嬉しくても放っておくことです。祝福したり反省したりしながら学ぶべきことを学んで次に行く。そして続けて行くうちに上達し、喋れる、聞ける、見えているようになっていきます。

 

勝敗や技の巧拙に自意識を入れないこと。自意識過剰になったらなるべく早めに気づいて、自意識を捨てること。これがゲームを楽しむコツであり、上達の秘訣です。上達こそ生きた知識の証拠であり、目標です。

 

サンタフェ通信6月29日より

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