人生はドラマではない | 田村洋一

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人生はドラマではない

人生をドラマになぞらえて「自分の役を演じる」と言う人がいます。ごくありふれた比喩です。世界が舞台で自分が役者ならどんな役を演じるのか。わざわざ脇役を演じたい人もいれば、主役を演じたい人もいる。どんな役を演じるのも自由です。

 

そして自分の人生においては常に自分が主人公です。この主人公という言葉は、禅の思想の中では他に縛られない自分本来の自分自身という意味で使われています(「無門関」)。他に依るのではなく、自己に依る、自らに由ることを仏教の伝統で自由と呼ぶのだと私は理解しています。これは政治的な自由や経済的な自由とは別の次元で、精神的な自由を指しています。

 

さて、ここまではいいのですが、ここからが問題です。

 

人生というドラマで「自分の役をきちんと演じなければならない」という観念になってしまうと極めて有害なのです。人生は誰かに見せるためのドラマではありません。自分が生きる現実です。見せるために役を演じ始めたらドラマ地獄の始まりです。自由を失い、観客のために何かを演じることになってしまいかねません。その観客は、世間かもしれないし、家族や友人かもしれないし、神のような超自然的存在かもしれないし、もしかしたら自分自身かもしれません。観客が誰であっても、見せるために何かをするのは不自由極まりないことです。

 

ここは「人生はドラマ」という比喩をいったん捨てて、「自分はどんな人生を生きたいのか」と出発点に戻ったほうがいいのかもしれません。

 

自分が主役でも脇役でも傍観者でも構わない。現実の人生を生きて行く中で、いったい何が起こったらいいのか。どんな世界を創り出したいのか。それが根本にある問いです。「自分はどんな役なのか」ではなく、どんな役であろうと「自分は何を創り出したいのか」と問うことです。

 

自分がどんな人間であろうと、たいていの人は健康であることを願っています。仲間や友人といい関係を持ちたいと願っています。世界のためになるいい仕事をしたいと願っています。

 

人によって優先順位は異なります。異なるのが当たり前だし、異なるからこそ面白い。異なる価値観を持つ人どうしが互いに学び合い、知恵や力を合わせて何かを創り出します。異なる価値観を持つ人どうしが共通の目的のために協力して何かを創り出します。

 

そういう現実の人生の中で、どんな役を演じるかという抽象的な問いは意味を失い、目的のためにどんな役割を演じるかという具体的な問いが意味を持ち始めます。

 

人生は抽象的なドラマではなく、具体的な実践の積み重ねなのです。

 

サンタフェ通信7月27日より

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