人間の人間としての価値 | 田村洋一

このエントリーをはてなブックマークに追加

人間の人間としての価値

学生時代にディベート競技の全国大会や国際大会で連続優勝したとき、当時のディベート界の大先輩に

 

「もう恐れ多くてお前の試合のジャッジなんかできないな」

 

と言われたことがありました。どういうことかというと、戦績で自分よりも上に行ってしまった私を、その人が偉そうに判定するなどおこがましい、とでもいうような意味でした。

 

これはその人独特の諧謔であり、自虐らしくもあり、真に受けたことは一度もありません。実際にその大先輩の「上に行った」と思ったこともありません。ディベート競技で「試合に勝つ力」については現役真っ只中の自分が今から大先輩と対戦しても簡単に負けはしないだろうという実感を持っていましたが、それだけのことです。

 

仮に先輩よりもディベートに強くなったからといってそれがどうということはありません。人間として偉くなったわけでもないし、それまで教え導いてきてくれた先輩との関係が壊れるわけでもありません。ただし自分の実力がそこまで認められるほどになったという事実は喜ばしいことでした。ただそれだけのことです。

 

これはアカデミックディベートという競技の世界の話にとどまらないことだと思います。

 

会社で長く仕事をしていたら、かつての上司が自分の部下になってしまってやりにくさを感じたり、自分より歳上のシニアな人たちが自分の指揮命令下についたりすることもあります。もちろん逆もあります。かつて指導した部下が昇進して自分の上司になったり、ひよっこだった後輩が力をつけて今や自分の部署のトップにいたりすることもあります。

 

そもそも人間に上下はありません。組織においては指揮命令系統があるだけです。芸事の実力については上下が生じますが、ただそれだけのことです。武術の道場で後から入門した人が自分を抜いて昇段することもあるし、古株の先輩を自分が追い抜いて上席に座ることもあります。

 

それが事実だとして、そこに囚われを生じることが自分問題(アイデンティティ問題)になります。

 

自分の技術がどんなに上達しようが、社会での地位が高くなろうが、それは自分という人間の価値に全く関係ありません。

 

現代社会では「稼ぐが勝ち」という価値観もあります。お金をたくさん稼いでいる人の価値が高い、と意識・無意識のうちに思っているのですが、これも単なる幻想に過ぎません。お金をたくさん稼いでいる(持っている)としたら、お金をたくさん使う(投資する、消費する)自由がある、というだけのことです。それは便利なことですが、人の価値には何の関係もありません。

 

本をたくさん読んで知識をたくさん持っているとしたら、それは便利で重宝なことですが、人の価値には何の関係もありません。

 

トレーニングをたくさんして抜群の体力や知力を持っているとしたら、それは素晴らしいことですが、人の価値には何の関係もありません。

 

厳しい修行をして悟りを開いて高い精神性を獲得したとしたら、それは立派なことですが、人の価値には何の関係もありません。

 

何かの領域で人を追い抜いたり人に追い抜かれたりしたとしても、それは人間の価値には何の関係もありません。人生はレースではない。競い合うのはただのゲームです。抜いたり抜かれたりしながら自分の創り出したいことを創り出し、自分が手に入れたいものを手に入れたらいいのです。

 

そしてそのうち抜いたり抜かれたりすること自体に全く意味がなくなります。ただそこにいて自分の創り出したい価値を創り出していけばいい。人間に上も下もないのですから。

 

人間の人間としての価値に上下はありません。大切なのは、自分がどんな価値を創り出したいのか、そして創り出しているのかだけです。

 

サンタフェ通信8月17日より

トップへ戻る