「若いときの苦労は買ってでもせよ」の意味

このエントリーをはてなブックマークに追加

「若いときの苦労は買ってでもせよ」の意味

「若いときの苦労は買ってでもせよ」という教えがあります。苦労などせずに済むなら済ませたいはずなのに、若い頃は自ら進んで苦労すべきだ、それによって人生経験を積んで賢く強くなるのだ、とでもいうような意味だと思います。

 

そういう意味では言い古された教えで、今さら何を足すべきものでもなさそうに思えます。

 

しかし「苦労」とは何なのかと考えてみたとき、苦労の意味とインパクトがもっと見えてきます。苦労とは、本来ならしなくてもいい失敗の経験なのです。もし知恵があれば避けられるはずの失敗です。

 

若いときというのは力は有り余っていても、知恵が足りないものです。何かを成し遂げたいという意欲はあってもそれを支える経験がなく、失敗は免れないのです。

 

そこでどうするかといえば、果敢に挑戦して「苦労」を買って出ることによって経験を重ね、知恵を磨くことです。チャレンジの積み重ねによって同じ失敗を繰り返すことが減り、知恵が蓄積され、だんだん苦労することも少なくなっていきます。特に同じ職業に就いている人は職業ノウハウがたまり、経験と実績を頼って仕事を遂行する力が高まります。

 

さてここで問題です。もう若くないのに苦労ばかりしている人には一体何が起こっているのでしょうか。

 

大きくふたつの可能性があります。

 

ひとつは、人生の経験から学んでいない、という可能性です。これは酷な話で認めるのが難しいことですが、大いに可能性があります。いつまでも同じパターンの失敗を繰り返し、苦労ばかりを重ねているのです。そろそろ経験を重ねるばかりでなく、経験から学んで賢く強くなったほうがいいのかもしれません。

 

もうひとつは、年齢に関係なく意欲と力にあふれていて、新たな挑戦に取り組んでいる可能性です。これまでの人生経験に安住するよりも、次々と未開拓の領域を切り開いていこうとすれば、必然的に新たな苦労を背負い込むことになります。ただし次々と新しいことにチャレンジしている場合は、本人は苦労を苦労とも思っていないかもしれません。

 

同じ苦労をするなら後者の苦労をしたいものです。これまでの経験から学んで、苦労なくやれることが増え、楽に生きることができ、余裕を持つ人が、あえて現在のレベルに満足することなく、あるいは満足しながらも、新たな分野に挑戦し、苦労を苦労とも思わずに前人未到の地を歩む。

 

そういう苦労は人生にとって必要な「学習」と位置づけたほうがよさそうです。年齢に関係なく、いくつになっても挑戦し、失敗し、学習することができるのです。裏を返せば、挑戦・失敗・学習ができる人はいつまでも若いとも言えるのではないでしょうか。

 

サンタフェ通信8月24日より

トップへ戻る