ハウトゥーの前にビジョンを示す

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ハウトゥーの前にビジョンを示す

マインドフルネスについては大きな誤解がたくさんあります。「マインド・フルネス」と発音する人たちの勘違いや思い込みは凄まじいことがあります。その昔、ジョン・カバット・ジンの話を聞いたことがありますが、ジン氏の仏教理解も怪しいものです。「ブッダはブディストではない」などと真顔で言っていました。

 

マインドフルではなくマインドレスのことを言ってるんじゃないか、と思うことも多いのです。マインドフルになれば騒音や振動や悪臭があってもストレスフリーで平気にしていられる、などというのもそうで、それはマインドフルネスではなくマインドレスネスに近い。外部から来るストレスを無視して身体を麻痺させている状態で、都会に住む多くの人たちが一種の身体防衛として麻痺の戦略を無意識にとっています。マインドフルになればあらゆることが解決する、というような魔法の信仰も一部にはあります。馬鹿馬鹿しいほどですが、大真面目に信じている人も少なからずいるようです。

 

今月(2018年8月)中旬に女神山ライフセンターで開催された藤田一照さんの坐禅合宿は、世間に流行するナンセンスとは全く違う次元で素晴らしい時空間でした。

 

去年の坐禅合宿も素晴らしかったのですが、今年は今年で別のよさがありました。いきなり度肝を抜かれたのは、初日の夜から一照さんが惜しみなく坐禅について語り出したことです。去年は最終日に請われてようやく喋り始めた一照さん、今年は最初から飛ばしていました。

 

その内容をまとめて報告することなどできませんが、自分の理解が深まったり拡がったりしたことを記録しておきます。

 

まず、「こうすればああなる」式のプログラムラーニングは本来の坐禅ではない、「習禅」は坐禅にあらず、これは一照さんが大昔から繰り返し説明してくれていることではありましたが、今回また新たな理解の広がりがありました。

 

「こうすればああなる」というアルゴリズムを教える従来教育の授業は、掛け算の九九を教えたり漢字の書き方を教えたりするには向いています。

 

一方、自分で発見して血肉化していくオーガニックラーニング(organic learning)において、「こうすればああなる」式の教え方は役に立たないどころか、かえって学びを妨げてしまいます。

 

身体を調え、息を調え、心を調えれば坐禅になるというものではなく、そういう働きは本来の心身に内在しているものであり、自己調節機能に任せてやればいいのです。外から押しつけるものではありません。

 

もうひとつ、なるほどと膝を打ったのは、今まで一度も読んだことのなかった普勧坐禅儀の冒頭部分を一照さんがわかりやすく解説してくれたときのことです。坐禅が何を目指しているのか、なぜ坐禅するのかのビジョンや目的が普勧坐禅儀の冒頭に明快に示されていて、ハウトゥーの前にビジョンが提示されていたのです。

 

これは後であらためて読んでおこうと思いました。何しろ一照さんは最終日の最後の講義で途中まで解説して、「続きはまた来年」とか何とか言って終わってしまったのですから。

 

サンタフェ通信8月31日より

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