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ディベートは口喧嘩や人格攻撃ではない

豊かな対話(ダイアログ)ができるためにある程度のディベート(議論)力は必須です。

 

欧米の対話コミュニティで「ディベートではなくダイアログしよう」という動きがあるのを伝え聞いて、これからは議論するんじゃなく対話することが大切なのだ、と言う人たちがいます。それは間違いです。

 

「欧米」では「ディベート」は当たり前なのです。放っておいても議論が始まってなかなか終わらない。だから「議論を戦わすのではなく対話的な会話を増やそう」という動きになっているのです。

 

一方、「日本」では対話しようと言って始めても場の空気に流される人が多く、建設的な衝突を含む豊かな対話になりにくい。

 

建設的議論ができるための段階としてディベートを学ぶことがどうしても必要なのです。

 

フランスでも中国でもドイツでも北米でも、いきなり議論が始まって、ほっとくとずっと続いています。慣れない日本人は面食らいます。

 

しかし彼らは日常的に議論を楽しんでいて、滅多なことでは人格攻撃したりしません。

 

一方、日本で議論が始まるとすぐに人格攻撃になったりします。そういうのが嫌だから議論しないという人もたくさんいます。

 

もちろん例外はたくさんあります。ある種のコミュニティではそんなことを気にせずにじゃんじゃん議論が交わされています。科学や技術や研究やビジネスの現場で、遠慮会釈のない議論が行われています。スポーツや芸能や芸術などの創作現場でも侃侃諤諤の議論が交わされています。

 

健全な議論は、議論の中身に焦点を当てています。人格にフォーカスすることはありません。勝ち負けではなく、良し悪し、優劣ではなく正否を争います。誰が勝ったか負けたかではなく、何がいいことか、何が正しいかを見つけ出すために議論が行われます。

 

人と議論を分けること。この議論の伝統を共有しない人たちは「喧嘩を辞めよう」「言い争いは嫌いだ」と言ってディベートを避けてしまいます。

 

健全で建設的なディベートは、お互いへの信頼と尊重を前提に行われています。互いを攻撃して傷つけたり倒したりすることには全く興味も注意も向けられないのです。

 

サンタフェ通信3月22日より

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