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人と組織の力を解き放つ

ロバート・フリッツが本書で公開している原理と方法は、現代の企業組織の抱える苦難を直視した上で、その本来の可能性を花開かせるものだ。同時に、組織で働く全ての人たちが、それぞれの持ち場で、それぞれの創り出したい成果を創り出すアプローチを教えてくれている。これはあらゆる組織人にとっての福音だ。

 

私が初めてロバート・フリッツに出会ったのは1992年のことだった。当時、アメリカの大学院で経営学を学んでいた私は、ロバートの思考に触れて、頭を殴られたような衝撃を受けた。ロバートはビジネススクールのMBAプログラムで教えられている理論の間違いを指摘し、反論の余地のない明晰さで、どこから見てもそれよりも優れた実践方法を提示している。しかも、それは会社の経営権を握って初めて利用できるような特別な方法ではなく、会社組織のどこにいても、観察と論理と行動さえあれば誰でも今すぐ使える方法なのだ。

 

これが誇張でないことは、実際に四半世紀にわたって実践してきた私自身がよく知っている。また、構造思考を習得すれば、それこそビジネススクールで教えられている従来の理論をどう活かしたらいいかも自ずと明らかになっていく。構造思考と創造プロセスは、物事を真摯に考え、組織や社会を変えていきたい人間にとって、全ての基礎となる強力な道具である。

 

どんな優れた道具もそうであるように、この道具をマスターするには相応の時間がかかる。これは手軽な料理のレシピではなく、料理人の腕を磨くための訓練なのだ。現実を見据え、未来を思い描き、試行錯誤しながら学び続ける必要がある。失敗しない技法ではなく、積極的に失敗から学び、創り出す力を身につける方法である。

 

経験を積むことによって、やがて眼が見開かれ、それまで不可解だった組織の構造が手に取るように見えてくる。見えるだけでなく、自分の志と価値に基づいて、組織の構造を変えることができる。そうなると、企業社会の理不尽や困難さえもが変革の機会の裏返しに見えてくる。これは全く新しい種類の経験になる。

 

2002年にアメリカのバーモント州でロバート・フリッツ夫妻に出会い、本格的なトレーニングを受けた私は、折しもその年の後半に独立起業した。以来、多くの企業と組織人をクライアントとして、リーダーシップ開発や組織開発に注力してきた。そして大小さまざまな企業の課題や挑戦に触れるたびに、ロバートの慧眼に感服するほかなかった。組織で遭遇する状況は千差万別で、毎回固有のリスクや機会を含んでいる。ところがロバートが本書で詳しく解説している構造力学で紐解けない事象はまるで存在しないのだ。

 

私が経営現場でお会いする組織人たちは優秀で意欲的で才能や洞察に恵まれている。にもかかわらず、彼らの多くは葛藤構造に行く手を阻まれ、悪戦苦闘している。そして彼らがひとたび創り出す方法を習得すれば、今までの苦労が嘘のように新しい可能性が姿を現わし、本来の力を発揮することができるようになる。

 

これは大手企業だけの話ではない。小さなチームや団体、家庭やコミュニティにおいても同様である。ロバートから学んだ構造思考と創造プロセスによって、私自身の仕事や生活そのものが少しずつ質と形を変えてきた。構造思考を人生に応用する方法は、「人生をマスターする方法」(2008年)に詳しく紹介した。これは本書の中にある「緊張構造」と「葛藤構造」、「前進するパターン」と「揺り戻すパターン」を初めて日本語で紹介した書籍で、私が個人として実践してきただけでなく、エグゼクティブコーチングや経営コンサルティングで出会う人たちにも折に触れて紹介してきた内容である。そして私がコンサルタントとして組織開発に応用した経験については「組織の『当たり前』を変える」(2006年)で記述している。健全で強い組織を構築するためには問題解決に明け暮れていては駄目で、構造を観察してデザインし直す必要があることを実践事例とともに紹介している。

 

企業経営や人材育成の分野において、さまざまな理論や手法が流行しては廃れていくのを目にする。勉強熱心な読者の中には常に最先端のトレンドに注目している人もいるだろう。しかしロバートの方法は何十年と経つ間に全く色褪せないばかりか、その有効性と普遍性がますます明らかになっている。そして歴史的に見ると、問題解決や状況対応ではなく、構造思考によって未来を創造していく方法は、古くて新しい思想だと言える。古来より芸術家たちが実践してきた方法だ。しかし組織やビジネスの分野で実践している人は驚くほど少ない。さらに、その方法を言語化している人はロバート以外に見当たらない。システム思考や組織学習を唱道する中心人物として名高いマサチューセッツ工科大学のピーター・センゲをはじめとする多くの知識人たちがロバート・フリッツに師事し、その方法を自分たちの実践に取り入れていることはよく知られている。

 

構造思考と創造プロセスを実践するだけで、今までの苦難が雲散霧消し、ビジネスと組織が、人生と人間関係が、本来の輝きを取り戻す。高い志と深い価値観を持った全ての職業人に本書を贈りたい。会社を本当にいい組織にしたい、金儲けばかりでなく、ビジネスを豊かな人生経験にし、社会や世界を変えていく文明勢力としての偉大な組織をつくりたい。そういう読者にはぜひ本書を手にしてほしい。

 

本書の日本語訳においては、友末優子さんと武富敏章さんから全編にわたって詳細の指摘と提案をもらい、翻訳初期段階の原稿の間違いや読みにくさを直すことができた。ここに深く感謝したい。

 

サンタフェ通信7月12日より

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