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暮らしの解像度が上がる

子供の頃の夏休みがとても長かったのを憶えている人はいますか。

 

私はときどき思い出します。色々な記憶を手繰り寄せて回想するのです。子供の頃だけでなく、学生の頃や若い頃のことも折に触れて思い出します。何かの拍子に突然思い出すこともあります。

 

小学生の頃、プールで昆虫をずっと追いかけていたことや、大きな滑り台を下から登って行っては滑り降りていたこと、子供の頃はそういう他愛のないことが途方もなく面白かったのです。野球やサッカーもしましたが、きちんと審判がいてルールを守って試合した記憶はあまりありません。その場で適当なところをホームにしたり、ゴールにしたりして、適当に遊んでいました。

 

ところが、大人になると日々があっという間に過ぎてしまうと言う人たちがいます。それはなぜなのでしょうか。

 

今から8年前に、アレクサンダーテクニークのトレーニング合宿に参加したとき、「一日が長い」と感嘆していた友人がいました。その理由は明らかでした。アレクサンダーテクニークという身体技術の実践では、今この瞬間に自分の体に起こっていることを、丁寧に時間をかけてつぶさに観察し、しばしばその観察を言葉にし、感覚を確かめたりします。ふだんよりもずっときめ細かく、ずっと詳しく、ずっと高い解像度で身体観察しているのです。もちろん体というのは皮膚から内側のことだけではありません。自分の周囲にも感覚は広がっていきます。何を見て、何を聴いて、何を感じて生きているのかに自覚が高まります。ふだんよりもずっと意識的な生活になるのです。

 

これは子供の頃の夏休みに似ていなくもありません。そしてこれは、身体技術だけに限った特殊体験でもないのです。

 

ロバート・フリッツの教えるオリジナル思考(original thinking)は、リアリティそのものを克明に観察することから始まります。これは私たちの日常生活では非常に稀有な体験です。私たちは日常の多くのことを「もう知っている」「もうやったことがある」と思い込み、真新しい体験として一から観察することを怠っているからです。

 

映画を観ても「この話は聞いたことがある」と一蹴する。

 

花を見ても「この花は知っている(スミレだ)」と思ってきちんと見たりしない。

 

おいしい料理を食べても「この店はあそこの店には劣る」などと論評して、自分の舌で味わわない。

 

本を読んでも「あまり新しい情報はなかった」と差分だけ拾ってわかった気になる。

 

人と会っても職業や肩書でカテゴリーに分類して、人物そのものをきちんと見ない。

 

こういう差分思考(comparative thinking)で毎日を過ごしていれば「光陰矢の如し」とばかりに飛ぶように時間が過ぎていくのは当たり前です。毎日の時間のほとんどが前の日や過去の体験の繰り返しなのですから、毎日毎晩が同じような体験として記憶されます。退屈して気が狂わないほうが不思議なくらいです。「歳をとると時間が経つのが早い」と言う人たちは、間違いなく差分思考で日々を過ごしています。

 

もしオリジナル思考で日々を過ごしたら人生はどう変わるのでしょうか。

 

いっぺんに暮らしの解像度が上がるのです。言ってみれば、子供の頃の夏休みのような時間体験に変わります。日常の些細な出来事が驚きと感動をもたらします。毎日がドラマのような奇想天外に満ち、ありふれた風景が絵画のように美しく、行き交う人々に触発され、一秒たりとも退屈を感じる暇がなくなります。

 

オリジナル思考は魔法ではありません。ただただ素直に目の前の現実を味わって体験することからスタートします。それは何も知らない子供の頃の自分が、夏休みに遭遇する全ての出来事に興奮し、わくわくドキドキしたような、色鮮やかな体験が始まります。

 

サンタフェ通信7月19日より

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