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不正を見て不正と言うこと

社会のいろいろな場面で「これはおかしい」と思うことに遭遇することがあります。「これはおかしい」と思うたびに声を上げていたら声は枯れてしまいます。いちいち騒ぎを起こしていたら身がもちません。だから自分と直接関係ないことであれば目をつぶって自分の仕事に専念するのが大人の嗜み、社会人のマナーだということになっています。

 

ある程度はそれもしかたありません。

 

しかし「自分の仕事だけに専念しろ」とばかりに、隣の島で行われている不正を見て見ぬふりをしていたら、それは共犯です。おかしいことがあったら「おかしい」と言う勇気が必要なのです。

 

「おかしい」と声を上げるタイミングが悪かったら職を失うかもしれません。相手が悪ければ命を失うかもしれません。

 

私はかれこれ20年以上も組織の変革の仕事を手伝っており、自ら組織変革に携わっていた時期もあります。今は依頼に応じて手伝っています。いずれにしても変革や改革は大変な仕事です。容易に敵を作ることになるし、ストレスもかかります。

 

なぜ怠け者の自分が大変な仕事の依頼を引き受けるのかといえば、色々と理由をいうことができますが、ひとつには不正を見て見ぬふりをしない勇気ある人たちを放っておくことができないからです。リスクをとって何かを変えようとする人たちが力を貸してくれと言ってきたときに、どうしてその依頼を無下に断ることができましょうか。

 

多くの人たちが見て見ぬふりをして日々を暮らしています。それは仕方のないことです。組織の仕事以外にも人としてやらねばならぬことは山ほどあります。家事もあるし、育児もあるし、金も稼がなくてはならないし、支払いもしなくてはなりません。自分のやりたいことや叶えたい夢もあるし、趣味や道楽もありかす。不正を見て見ぬふりをしたとてそれを責めることはできません。

 

しかし憶えておきましょう。不正を見て見ぬ振りをする者は不正の共犯なのです。たとえ小さな声でも声を上げる勇気を失わないことです。不正の現場から逃げる者は、勇気ある人生から逃げることになるのですから。

 

サンタフェ通信8月16日より

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