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生存ゲームと創造ゲーム

サバイバルのために仕事をしている人たちが大勢います。この人たちにとって仕事とは、厳しい状況に対応して生き延びることを意味しています。殺されないこと、死なないこと、リスクを負わないことが大切で、それ以外にはありません。会社組織で働いていたなら、会社の中で誰が力を持っていて、誰が組織を牛耳っているかを知らなくてはなりません。組織から独立して働いているなら、社会のどの勢力が支配的で、誰が生殺与奪の力を持っているかを見極め、世の主流に逆らわないことが大事です。それが生き延びるために大切な知識です。

 

一方、創造のために仕事をしている人たちもいます。彼らは自分が創り出したい大小のビジョンを持っていて、自分のビジョンを実現するには何が必要かと考えています。彼らにとってもサバイバルは重要です。生き延びなければ創り出せないのですから。しかし生き残ったところで創り出せないのでは意味がありません。組織の内外の生存競争や権力闘争は、自分が創り出したいビジョンから見て重要性が決まります。多くの場合、闘争や抗争は関係ありません。構想と創造が仕事の目玉です。

 

生存ゲームをやっている人たちにとって「現実」とは、支配の構造を見ることが中心になります。例えば会社の中で社長の発言や存在が絶対であるならば、社長の言うことやることが「現実」となります。社長が交代すれば次の支配者の言うことやることが絶対となります。社内の「空気」を読んで空気に逆らうことはやらないほうが身のためです。それ以外に現実など存在しないのです。

 

創造ゲームをやっている人にとっての現実は違います。会社や社会の中における力関係は単なる現実の一断面に過ぎません。金や力を持った人の協力は必要で、妨害は無用だから、政治や人間関係に無頓着というわけにはいきませんが、そのことと現実そのものとは別の話なのです。

 

さて、生存ゲームに忙しい人にはこのことが理解できません。「現実」を無視して何のゲームがあるんだと首をひねります。一方、創造ゲームのプレイヤーは、サバイバルが目標の人たちの思考を理解するのが難しいことがあります。権力者や支配者の意見や、世間の主流のパラダイムは、あくまでも自分のビジョンの見地から認識される事実の一部に過ぎないというのに、それがどうして現実の全部だと思っているのかがわからないのです。

 

生存ゲームしか知らない人たちがたくさんいます。生存重視で暮らしながら余裕のあるときだけ創造ゲームにも参加する人もいます。もともと創造ゲームをしていたのに何の因果かすっかり生存ゲームに明け暮れるようになってしまった人たちもいます。

 

年がら年中創造ゲームにばかり勤しんでいる人たちは奇人変人と呼ばれています。

 

歴史的に見ると、100年前は人類の大多数が生存ゲームしかできませんでした。多くの人が日々を生き延びるので精いっぱいだったのです。ごく少数のエリートや芸術家や発明家だけが創造ゲームに参加していました。

 

現代日本の人口の大半は、いわゆる貧困家庭の子女も含めて、自分の意思でゲームを選べます。地位や力や財産や才能は関係ありません。そんなものがあろうがなかろうが関係なく、自分の意思で創造ゲームを選択することができるのです。

 

あなたは毎日どちらのゲームを選択しているのでしょうか。

 

サンタフェ通信8月23日より

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