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ピクチャリングが切り開く世界

ピクチャリング(picturing)と呼ぶ技法があります。話し相手の発する言葉を次々と映像(pictures)に転換して聴いていく技法です。ロバート・フリッツが何十年も前に編み出した技法です。プロセスコンサルテーションという著書の中でエドガー・シャインもこの方法に言及し、絵で聴くことの有効性を裏書きしています。

 

私自身は、2002年にロバートからピクチャリングを習って以来ずっとピクチャリングを実践しています。2003年頃からはいろいろな人たちにこの技法を伝えてもいます。コーチ、コンサルタント、トレーナー、ファシリテーターのようなプロだけでなく、マネジャー、リーダー、ネゴシエーター、ミディエイターなど、正確な現実理解が仕事の成否を左右する人たちにとってピクチャリングは決定的に有効です。

 

絵は言葉を立体化し、話し手のリアルな体験や感覚を再現します。言葉だけでは理解し得ない次元へあっという間に到達します。絵を共有した同士は同じリアリティを共有するのです。

 

これを教えるロバート・フリッツが来日し、直接トレーニングを受けるチャンスを得た人たちは、いろいろな反応を示しました。私が十数年間にわたってピクチャリングを伝えてきた体験でも、同じようにいくつかの種類の反応があります。

 

ある人たちは「自分は絵で聴くのが苦手だ。映像人間じゃなくて言語人間だから」と言います。

 

またある人たちは「自分はビジュアル人間で、これは教わらなくてもやっている」と言います。

 

多くの人たちが「これは凄い。今までと違う次元でコミュニケーションが起こっている」と言います。

 

それぞれがそれぞれの体験をしています。一つひとつ見ていきます。

 

まず、「自分は苦手だ」と言う人たちは2種類に分かれます。苦手だからできない、やらない、という人と、苦手だからやってみよう、と言う人です。

 

ロバート自身がもともと映像的ではなく(音楽家で、耳人間でした)、ピクチャリングは得意でなかったと言います。しかし練習と実践によって熟達しています。元々の才能や適性は関係ないのです。

 

次に「自分はもうやっている」と言う人たちです。これも2種類に分かれます。ひとつは実際にできている場合です。教わらなくてもあるレベルまでは経験的にできているのです。ただしそれはもう学ぶ必要がないということを意味しません。それどころか、あるレベルまでできている人は次のレベルに行くために一層の規律と目的を要するものです。ピアノを叩いていきなり弾けた、という人が、そのまま練習をしなかったら上手に弾けるということがあるでしょうか。

 

もうひとつは、「できているつもり」の人たちです。映像にすると聞いて、勝手なイメージをこしらえて聴いている人たちがかなりいます。ピクチャリングの目的は連想や空想を繰り広げることではありません。話し手の話を正確に客観的に理解することです。そこで大切なのは、自分のイメージを排除し、話し手の話に100パーセント集中して理解することです。

 

私たちはたいていいろいろな「隙間」を埋めながら話を聴いています。一を聞いて十を知るというのが賢いのだと思い込んでいます。「皆まで言うな」「言わぬが花」という日本の言語文化も大いに関係あるかもしれません。いちいち詳しく細かいことを確認せずに「察する」「忖度する」というコミュニケーションの習慣があります。

 

ピクチャリングはそういう習慣をぶっ飛ばし、相手が実際に何を言っているのかに完全に注意を向けます。すると、どこまでが相手の言っていることで、どこからが自分の憶測や思い込みであるかが少しずつわかってきます。

 

隙間を想像で埋めないこと。これを実践するには規律と訓練が必要です。絵にするのが不得意な人も得意な人も、ともに意識的なトレーニングをする必要があります。

 

それができると、それまでとは違う次元でコミュニケーションが成立することになります。

 

連想、空想、想像、妄想、憶測を排すること。隙間を埋めないこと。

 

これを習慣化すると、ピクチャリングは単なるコミュニケーションの技法ではなく、思考を明晰にすることに直結します。

 

ピクチャリング(映像化スキル)をマスターすると、ただ単に相手の話を正確に聴き取れる以上のご利益があります。話が、どんな話でも、面白くなるのです。

 

これはたくさんの人たちが経験しています。

 

何気ないありふれた話でも、ピクチャリングして詳しく具体的に聴いていくと、まるで映画や小説のように面白くなることがあります。相手の人の日常がドラマ化されて投影されているようなものです。

 

実際、ピクチャリングを教えるロバートは、頭の中に映画撮影のカメラがあって、カメラマンが全ての話を撮影しているようにして聴くのだ、と教えています。

 

例えば、小池さんというお坊さんが解脱に失敗して懺悔している話があります。これは観念的にまとめてしまえば非常につまらない話で、「成功したと思った」「失敗だった」「落胆した」というだけです。どこにでも転がっているようなありふれたことで、何のニュース価値もないように思えなくもありません。

 

しかしピクチャリングして具体的に聴くと、これはもう抱腹絶倒、前代未聞、見たことも聞いたこともない冒険と興奮の物語に変わります。

 

さりげない日常の風景が、ときめきとドキドキにあふれた新鮮な世界に変わるのです。

 

私がコーチングで巡り会うクライアントのどんな話を聞いても決して退屈することはなく、心から興味深く話を聞ける理由も、私に特別な忍耐力や感受性が備わっているからではなく、ただただ丁寧にピクチャリングしていることにあります。

 

サンタフェ通信10月4日より

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