一次チョイスと二次チョイス | 田村洋一

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一次チョイスと二次チョイス

16年前にバーモント州に住むロバート・フリッツを訪ねたとき、はるばる日本からよく来てくれた、と歓待され、飛行機の長旅を含む旅程のことをロバートが「二次チョイス(secondary choice)」と呼んでいたことを思い出します。

 

一次チョイス(primary choice)がロバートに会って学ぶことであり、大目的だとすると、そのために長旅を強いられることになるのは二次チョイスであり、目的のための手段です。

 

一次チョイスがサッカーW杯で予選リーグを突破してベスト8以上に勝ち上がっていくことだとすると、二次チョイスはそのために普通ならとらないみっともない戦術すらをも選択することです。

 

サッカーW杯をフォローしていない人には何のことかわからないと思いますが、日本チームが予選リーグの最終戦で1対0でポーランドに負けていたにもかかわらず、そのままのスコアで負け切れば予選を突破できるという特殊状況にあり、同時進行の別の試合でセネガルがコロンビア相手に得点したら予選敗退というリスクがありながらも積極的攻撃を諦め、それによって対戦しているベルギーの追加得点を許さないという、なんとも言えない苦渋の選択をしたことです。

 

これに対して「セネガルが得点したらどうするのか」「負けてもいいから積極果敢に試合しろ」「そんな不甲斐ない戦いぶりでサムライを名乗っていいのか」などと国内外のさまざまな人たちがさまざまな感情的批判を繰り広げました。

 

これは簡単な問題ではなく、素朴なスポーツマンシップの観点から批判されるのはやむないことだと言えます。批判が的外れなのではなく、正当な批判だからこそ苦渋の選択だったのです。

 

サッカーやスポーツや国際大会という視点を離れ、単純に一次プロセスと二次プロセスの観点から見れば、「無気力試合」とバッシングされることを覚悟で大目的を選択し、ギリギリのリスク判断で「パス回し」を続け、一糸乱れぬプレイをした日本チームは素晴らしいと私は思いました。

 

これはビジネスにおいても人間関係においても人生全般においても教訓としたいポイントです。

 

他人にどう見られるか、世間にどう言われるか、ではなく、「自分たちの創り出したい成果(一次チョイス)は何か」を明確な判断基準として持っているとき、人は揺るぎのない選択(二次チョイス)をし、ときには「不本意」と言いながらも英断を下すことができる。

 

私はそう思いました。

 

サンタフェ通信7月6日より

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