「ディベートが苦手、だから日本人はすごい」書評 | 田村洋一 | サンタフェ通信

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「ディベートが苦手、だから日本人はすごい」書評

 

 非常に優れた洞察を含む日本人論、日本文化論です。日本の言語文化に関心の深い人には一読をお勧めします。

 

 著者はこのように言います。

 

 「日本人がディベート下手なのには正当な理由がある。伝統文化的に論敵をやっつけるよりも相手の気持ちを察し合い、場の空気を和やかにすることが重んじられているからだ。無理に欧米文化のディベート
精神を日本に導入しても弊害のほうが大きい」(引用ではなく要約)

 

 これは一見して説得力のある主張であり傾聴に値するストーリーです。

 

 ではこれはどうでしょうか。

 

 「日本人がサッカー下手なのには正当な理由がある。伝統文化的に、敵をやっつけるよりも相手の気持ちを察し合い、場の空気を和やかにすることが重んじられているからだ。無理に欧米文化のスポーツ精神
を日本に導入しても弊害のほうが大きい」(私の創作)

 

 これは明らかに信憑性を失う主張だと感じる人が多いのではないでしょうか。

 

 スポーツにもディベートにも世界に通じる普遍性があります。

 

 ヨーロッパらしいサッカー、南米らしいサッカーがあるように、日本らしいサッカーもある。日本人がディベートするなら日本らしいディベートがあっておかしくありません。

 

 著者はディベートの目に見えるスタイルに着目して、コミュニケーションの面からそれを批判しています。ディベートにもある普遍性には注意を向けていません。これがこの本の弱点です。

 

 物語に一見信憑性があっても、事実と論理に照らして真実性に欠ける主張は多いのです。

 

 主張を聞く時に私たちはついストーリーを聞いて納得してしまうことがあります。それではいけないのです。そこにどれだけ事実の裏づけがあるか、ケースを見なければならない。それこそ真の「ディベート精神」と言えます。

 

 自己主張して相手を論破することはディベートにおける表面的な所作であり、もっと深層において肝要なのは議論を深く見つめてその真実を探る姿勢なのです。

 

 この本の著者には大変優れた洞察と表現力がありますが、彼にもっと真のディベート精神があったらもっと真実性のあるディベート批判ができるようになるでしょう。

 

 ディベート精神とは、論敵を論破する自己主張力にとどまるものではありません。あくなき真実追求の姿勢を含むものです。それは日本の伝統文化に反するものではなく、むしろ日本人に文化的に備わる周到さや現実性と充分に親和性のある精神だと思います。

 

 ディベートを表面的に理解して批判するとこの本の著者のような結論に陥りがちなのです。

 

 日本人はディベートを苦手として避けるのではなく、もっとディベート精神を学び、自家薬籠中のものにすべきだと私は思います。

 

 サッカーもW杯優勝を目指すべきです。それは達成不可能なゴールではないと私は思います。

 

 

サンタフェ通信6月27日号より一部抜粋しています。


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