平和を志すディベート | システム思考 | ディベート

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平和を志すディベート

 

 今年のディベート道場ではほとんどドロップアウトがなく、しかもアクティブメンバーのほとんどが道場内ディベートコンテストに出て、真剣勝負の試合をしています。

 

 驚異的なことです。

 

 ディベートの試合のためには相当な準備が必要なだけでなく試合特有の緊張感があります。慣れていない人には、怖い時間です。しかし試合をたくさん経験することでディベーターは育っていきます。

 

 ディベートを学んだ人の中には、ファシリテーションが上達している人もいるようです。このことには今までそれほど気づいていませんでした。

 

 ディベートは意思決定プロセスの合理化・身体化です。意思決定を合理的に捉え身体的にアプローチできるようになれば、ファシリテーションが上達するのは当然です。ある意味では当たり前なのですが、ディベート道場で、ファシリテーションは教えていないので、そのつながりに無頓着だったのです。

 

 学ぶことと学ぶべきこととは密接に繋がっています。

 

 ディベートを自己主張の道具だとか論敵を論破する方法などのように狭く捉えてトレーニングして、狭い了見でスキルを使うことも可能です。自己主張を強化する必要のある人や上司や顧客にいいように言いくるめられたりしている人たちにとっては、これだけでも福音でしょう。

 

 しかしディベートの本質はもう少し深いところにあると私は考えています。

 

 どんな問題にも両面がある。物事を多面的に捉えることから真実に迫ること。自分と異なる考えの人間を理解して意思決定を促進すること。

 

 ディベートは対決の言語を用いますが、その目的は戦争ではなく平和なのです。その証拠にディベートで激しく争った仲間たちは普通では考えられないほど親しく仲良くなって行くことが多いのです。

 

 ディベート道場はディベートを学びたい人たちが自由に集って自由に学ぶ場であり、やめることも自由です。いつやめてもいいのです。去年も一昨年も仕事が忙しくて来られなかった人が何人かいました。所期の志を果たさずに断念する人たちを見るのは、正直言って残念ですがそれぞれの人生の事情があります。仕事や生活が大変な中でディベートのような狂気の学習活動を継続できることのほうが驚異なのです。

 

 

サンタフェ通信8月1日号より一部抜粋しています。


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