毎日を客観的に生きるトレーニング | ディベート | システム思考

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毎日を客観的に生きるトレーニング

 

 ディベートを学ぶことによって培われる能力のひとつは切り離す力であり、もうひとつの能力はつなげる力だと思います。

 

 私たちはふだんいろいろなことをつなげて考えています。これがこうなのはあれがああだからだ、という具合です。自分が幸せなのはお金があるから、とか、自分が不幸せなのはお金がないから、とか、まあ、そういう具合です。

 

 これはあらゆる領域にわたることです。たとえば集団的自衛権の行使容認の問題についても、きちんと客観的に考えている人に出会うのは珍しいのです。集団的自衛権の行使とはすなわち戦争をすることであり、戦争をするのは嫌なので、そんなものを容認するのは嫌だ、とか、まあ、そんな具合です。あるいは、日本は米国と歩調を揃えて防衛しなくてはならないから、米国の要求に従うべきだ、とか、まあ、そういう具合です。

 

 私たちがふだん何となく頭の中でつなげているものは、客観的にきちんと考えた結果ではなく、誰かが代わりに考えたアイデアを何となくイメージでつなげているだけのことなのです。

 

 ディベートでは、常に徹底的に切り離す作業を行います。何かと何かの間には因果関係があるのかどうか、調べて分析して議論します。因果関係が実証できないまら何か相関関係があるのか、その関係にはどのような実際的な意味があるのか、などと調べて分析して議論します。

 

 分析してみると私たちがふだん知っているつもりのことのほとんどが実証できない、何となく頭の中のイメージでつなげているだけだということが明るみになります。

 

 いったんばらばらにしたら、今度は何と何が実際に関係しているのか、どういう因果関係があるのか、つなげていく作業に入ります。

 

 これがまた難しく、そして面白いのです。

 

 いわば私たちの世界認識の再構築です。

 

 いったい世界はどのようになっているのか。私たちは、どのような現実を生きているのか。

 

 つなぎ直されて再構築された物語はさらなる分析と議論にさらされます。

 

 こうした作業をひたすら繰り返していくのです。ふだん何となく頭の中でつなげていたイメージを崩壊させて、物事を根本から捉え直すトレーニングです。

 

 私が6月に網膜剥離になって緊急手術して入院した際に一切余計な心配をせずに坦々と仕事生活を送っていたことの背景には、ディベート的な切り離す力の存在があったのではないかと思います。

 

 網膜剥離というのは放置すれば失明する重篤な病です。しかし手術の方法は確立されており、それほど大きなリスクとは思えません(手術の成功率は90%以上だとのこと)。万が一失明したところで命を失うわけではありません。そんなことを心配しても仕方ないのです。

 

 客観的に現実を把握して、為すべきことを為し、心配しても仕方ないことを心配しない。

 

 ディベートは、単なる頭の体操や口先の議論ではなく、毎日を客観的に生きるためのトレーニングなのです。

 

 

サンタフェ通信8月15日号より一部抜粋しています。


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