ボールが止まって見える | 田村洋一 | サンタフェ通信

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ボールが止まって見える

 

 昨年10月に93歳で亡くなった川上哲治さんには、野球の打撃練習中に「ボールが止まって見える」と言ったという伝説があります。

 

 もちろん、伝説の「打撃の神様」の境地など、私たち素人には計り知れません。

 

 しかし、心が落ち着き、技が高まってくると、「止まって見える」感覚がわかるときがあります。

 

 経営コンサルティングの仕事をしているとき、複雑な経営課題についての議論が「止まって見える」ことがあります。実際に議論が止まっているわけではありません。議論自体は激しく戦わされ、揺れ動いているのです。ただ、聞いている側の心が落ち着いて、頭が冴えているとき、あたかも「止まって見える」とでも言いたいほど全体がゆったりと見えることがあるのです。

 

 この感覚はいろんなところで起こります。

 

 競技ディベートの試合中に非常な猛スピードでスピーチが行われているときに、ディベーターが議論や論題について調べ尽くし、考え抜いている場合、議論が止まって見えることがあります。先の先まで見通せているので「いま何が言われているか」「それはどういう意味合いを持つのか」が瞬時にわかるのです。

 

 私は競技ディベートをさんざんやった後に同時通訳をやり、この「止まって見える」感覚が共通するのを感じました。

 

 同時通訳というのは、誰かが喋っているのを聞きながら別の言語に翻訳して喋るという荒技です。訓練されていない普通の神経では不可能です。訓練によって話者のスピーチがゆっくりと聞き取れるようになります。

 

 もしも心がせわしなく反応していたなら同時通訳は絶対にできません。話者の喋るスピードが速ければ速いときほど聞く者の心はゆったり落ち着いていなければなりません。何も聞き逃さず、何も言い逃さぬためのオペレーティングシステムとして落ち着いた心が必要なのです。

 

 心が落ち着いていなければ、頭ははっきりと動きません。頭が速く動くためには心がゆっくり動いていることです。

 

 これはきっと楽器の演奏とか舞台のお芝居とか、スピードと臨機応変が求められる仕事に共通する原理なのではないでしょうか。

 

サンタフェ通信11月31日号より一部抜粋しています。


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