ディベートと武術稽古 | 田村洋一 | サンタフェ通信

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ディベートと武術稽古

 

 2002年に合気道の道場に入門して来月で13年になります。

 

 最近のように寒い日には稽古に行きたくない気持ちになることもあります。もちろん、寒いくらいで稽古をさぼっていては無意味ですから、休むことはありません。自動的に道場に行き、自動的に稽古に励みます。

 

 この「自動的」というのが稽古のいいところなのではないか、と思います。いちいち考えるまでもなく、その時間が来たらその場所に行って稽古するのです。

 

 稽古は必ずしも楽しいとは言えません。楽しむというより集中して取り組みます。集中しているうちに没頭していくことになり、結果として充実した稽古になり、それは全体としては有意義で、終わったときには満足していることが多い。しかし、痛いことやきついことももちろんあって、他人においそれと勧められるものではありません。
 これはディベートにも言えます。

 

 合気道に多種多様な流派があるのと同様、ディベートにもいくつかの流派があります。ディベートの中にはテーブルスピーチのような軽い会話の延長の雰囲気で議論を楽しむものもありますが、私が取り組んでいる教育ディベートは1時間の試合をするために何十時間も、ときには百時間を超えるリサーチや分析、立案やトレーニングを行います。

 

 さながら武術稽古のようです。

 

 試合はどちらかが勝ちます。ということは必ずどちらかが負けるのです。スポーツの試合と同じで、恨みっこなし。どんなに準備しても負けるときは負けます。力量が及ばず負けることもあれば、弱い相手に負けることもあります。

 

 稽古やリサーチは楽しいことばかりではありません。長い準備を重ねても必ず成果が出るという保証もありません。

 

 それでもディベートをするのはなぜなのでしょうか。

 

 それが自分自身の思考力や意思決定力を高め、世界を理解する力、人と議論を通じて交流する力を高めるからなのでしょうか。

 

 武術稽古と同じで、苦しいことがあってもなぜディベートを続けるのかは、本人以外にはわかりません。

 

 仲間がいるからかもしれないし、勝ちたいから、負けたくないから、かもしれないし、それこそ「自動的」にやっているのかもしれません。

 

 どんな動機であれ、ディベートは打ち込んだら打ち込んだだけの結果をもたらします。少し打ち込んだら少しだけ、大いに打ち込んだら大いに変化をもたらします。

 

 ディベート道場に参加しているメンバーの人たちが変容や成長を遂げる姿を見るのが愉しみです。

 

 

サンタフェ通信2月13日号より一部抜粋しています。


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