「べき-だろう」議論(should-would) | 田村洋一 | サンタフェ通信

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「べき-だろう」議論(should-would)

 

政策ディベートの用語にshould-wouldというのがあり、ディベート道場では、そのまま「べき-だろう」議論と呼んでいます。

 

これが何か、そして現実の意思決定においてどういう意味合いがあるか、を見てみましょう。

 

政策ディベートの論題は「べき」を論じます。例えば「日本政府は移民規制を大幅に緩和すべきである」のように、「べきである」かどうかが最大の論点です。

 

この論題を肯定する人が、具体的な政策提言をします。試合では「プラン」「プロポーザル」などと呼びます。

 

そのプランを否定する人が「そんなプランには解決性がない。政府には反対する議員がたくさんいる。官僚もそういう斬新なプランには必ず抵抗する。霞が関がボイコットしたら現実に政策は実行されない」などとあれこれ難癖をつけ、プランの現実性を否定します。フィージビリティがない、などと言ったりします。

 

すると肯定側は、否定側の難癖そのものが見当違いだと言って返すことができます。これが「べき-だろう」議論(should-would)です。

 

論題は、「日本政府が規制緩和すべき」(should)かどうかを問うものです。否定側の議論は「日本政府は規制緩和しないだろう」(would not)と主張しているだけ。「しないだろう」という議論は「すべきだ」という議論を否定しません。

 

肯定側はこのプロポーザルによって議論も官僚も納得して規制緩和「するだろう」という途方もない立証をする責任を負いません。あくまでも「すべき」と示すだけでいいのです。これは政策ディベートという特別ゲームにおける特殊ルールなどではありません。論題のワーディングから来る論理的な帰結です。

 

こういうことを政策ディベートにおけるマニアックなコンセプトに過ぎないと見なしている人たちがいます。実際にディベートを経験した人の多くがそうです。

 

もちろん私は違うと思います。政策ディベートで体験することの多くは、丸ごと実社会の議論や意思決定に当てはまるのです。

 

例えば、私が社内で何か企画を立てて、それを上司に提案したとします(今の私には現実には上司はいないのですが、仮のお話です)。それに対して、上司が、「いいアイデアだが、社長がうんと言わないだろう」と言ったとします。

 

そうしたら私は、社長がうんと言わない理由が何かを問いただします。「社長もきっとうんと言いますよ」などと言って無用な立証責任を負う必要はありません。あくまでも、会社がその企画を実行すべき(あるいは実行すべきでない)理由が大切なのです。

 

もちろん私は上司に向かって「それはshould-wouldという誤謬です。あなたは存在と当為を混同してますよ」などと反論して上司を敵に回したりなどはしません。どんな相手も味方につけることが大切ですから。

 

ディベートの議論はディベートで勝つためだけにあるのではありません。意思決定を客観的に眺め、合理的に行う、そのための議論を効果的に行うために全てがあります。

 

「べき-だろう」議論(should-would)もディベートの特殊知識ではなく、実社会で現実に応用しうる考え方のひとつなのです。

 

サンタフェ通信7月3日号より一部抜粋しています。


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